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執筆者の写真林院長

埼京線


昭和後期に人口密集地である埼玉南部と東京を結ぶ路線として埼京線は誕生した。通勤別線の通称があるくらいで通勤ラッシュの時間帯ともなれば、日本一混雑する路線なのではないかと学生の頃利用していた当時は信じてやまなかった。猿やライオンがなわばり争いするように我々ヒトにも無意識にテリトリーというものが存在する。そのテリトリーが他人に踏みにじられれば我々ヒトでも不愉快であろう。しかしながら、混雑した埼京線の車内は個人のテリトリーというものなど存在せず、互いに体を密着させることになる。学生ながらにこの通勤の惨状を知ることで日々仕事で戦う父に敬服したものである。

そんなある日のラッシュの時間帯、混雑した車内で人波にもまれる齢80歳過ぎくらいの翁を救い出すようにそばの席に座っていた女子高生がその翁に席を譲った。救い出された翁は、女神にあったかのように女子高生に頭を下げて礼を言った。このような混雑した車内でも心温まる情景が目に入るのがせめてもの救いだと感じていた私をよそに、その翁は女子高生にこう申し出た。

「娘さん、よかったら私の膝の上にお乗りください。これでも戦時中によく電車の中では人を膝の上に乗せていましたから、足腰に自信があるんですよ。ささっ、遠慮せずにどうぞ」。

その女子高生は赤面して翁のそばを離れていった。あの子はおそらく金輪際、人に席を譲ることなどないだろう。私がその翁の膝の上にでも乗ればその場は丸く収まったのかのう。

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