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  • 執筆者の写真林院長

東日本大震災


震災から7年が経った。

当時、私は東北大学病院に勤務していた。

3.11を迎える度に当時の辛い記憶が蘇る。

明日を迎えるのにあれほど不安を抱えた日はない。

私以上に辛い経験をしている人を思い、当時は職務を全うしようと奮闘し、日々を耐えた。

震災に備えて病院には乾パンや缶詰など食料の備蓄があった。

ただ、これらの非常食は入院患者のものであって病院職員に配給されるものではなかった。

自宅に帰ることも出来なかった私は空腹を感じつつも、医療に従事するほかならなかった。

震災翌々日の晩に、栄養科の判断で加熱処理が行えない作り置きしていた入院食は入院患者に配膳出来ない為、その食事分を職員に配給するとの知らせがあった。

私もその配給に並んだが、ランダムに配給される入院食は必ずしも普通食とは限らなかった。

私に配給された入院食は塩分制限あり、低タンパク、5分粥刻み食であった。

なかなかワガママは言えない時で、そんな入院食を食べながら、ふと私は思ったのは、まさか流動食まで配給してないだろうかと不安が過ぎった。

さすがに流動食を配給されたら、底知れぬほど戦意を削がれるだろうと思った時に私の横に座った耳鼻科の先生が何とも言えない面持ちでコップ3杯の流動食がのせられたプレートをテーブルの上にそっと置いた。

『私の刻み食でよければ、少しおかずでもどうですか?』

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